沼からあがった弁才天
どんな伝承か
弁天町の厳島神社は弁才天を祀っている。天保四年の正月に刻み直されたという篠葉宮沼弁財天来歴によれば、この地の沼に毎晩のように龍灯がともるのを不思議に思った村人が沼をのぞくと、弁天様の像が沈んでいた。引き上げて沼のそばに小さな祠を建て、安置したのが永禄十二年のことと伝わる。像の現れた沼を宮沼といったので宮沼の弁天様、祠のまわりに篠竹が茂っていたので土地を篠葉村と呼び、篠葉の弁天様とも呼ばれた。慶長十年には弁才天の夢のお告げで寺が建てられ、祠は明治になって厳島神社と称した。巳年ごとだった祭礼は、昭和五十一年から四年ごとになった。
原典より
それによると、この地の沼に毎夜、龍灯があがるのを見て不思議に思った村人が沼を見てみると、弁天様の像が沈んでいたので、それを引きあげて沼の傍に小祠を建てて安置したのだという。—— 草加市史 民俗編――伝説(草加市(編)・草加市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
草加市史 民俗編――伝説(草加市(編)・草加市史)
『草加市史 民俗編――伝説』は、草加市史民俗編のうち「二 伝説」の章である。地名起源・塚・神々・地蔵・薬師・観音・その他の神仏・旅の僧・動物と妖怪の九節で、柿木や青柳の地名の由来、毛長神社の御神体、疣地蔵や火あぶり地蔵、雨乞いの龍、むじな大尽などを、『新編武蔵風土記稿』や縁起碑、土地の伝えによって記す。第十節「世間話」は狐・むじな・狸・雷獣の聞き書きを集め、話ごとに町名と話者の頭文字・生年を添える。