亡き娘を忍ぶ弁才天(御玉辨財天)
どんな伝承か
稲荷町の慈尊院の墓地は、大きな墓が並ぶ側と小さな墓ばかりの側に分かれている。その小さな墓の奥に地蔵が祀られ、足もとに御玉辨財天と刻んだ碑がある。碑には願主加波女の名、慶応三年八月二十五日の日付と藤佐源太郎・妻登美女の名、草加宿五丁目の関口勘五郎の娘との文字が見える。江戸の末、立野堀村から分家して草加宿五丁目に住んだ若夫婦に女の子が生まれ、縁あって江戸の武家の養女となったが、急な病で幼くして亡くなった。実の親と養い親は亡骸をめぐって譲らなかったが、話し合って実家の菩提寺に葬り、両家の名を刻んで、子を導く地蔵の足もとで弁才天に生まれ変わるよう願ったのだという。
原典より
しかも、地蔵様は子供を導いてくれる仏様であるからというので、その足元で、生まれ変わって弁才天となって仏の道に仕えてくれるようにというのであった。—— 草加市史 民俗編――伝説(草加市(編)・草加市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
草加市史 民俗編――伝説(草加市(編)・草加市史)
『草加市史 民俗編――伝説』は、草加市史民俗編のうち「二 伝説」の章である。地名起源・塚・神々・地蔵・薬師・観音・その他の神仏・旅の僧・動物と妖怪の九節で、柿木や青柳の地名の由来、毛長神社の御神体、疣地蔵や火あぶり地蔵、雨乞いの龍、むじな大尽などを、『新編武蔵風土記稿』や縁起碑、土地の伝えによって記す。第十節「世間話」は狐・むじな・狸・雷獣の聞き書きを集め、話ごとに町名と話者の頭文字・生年を添える。