三度の警告を退けた佐野宗綱の最期
どんな伝承か
天正十二年の暮れ、唐沢山城主佐野宗綱は足利攻めを決めた。その夜、母の夢に大明神が現れて出陣を止めるよう告げたが、宗綱は聞かず、翌年元日の未明にわずかな供を連れて城を出た。すると馬の前に若い女が三度現れては消え、命は今日限りだから戦をやめよと繰り返した。戸奈良の羽室川原では白狐が馬前を三度横切り、山形の片峰の坂では易書を手にした神官が今日は運が悪いと告げたが、唐木田幸右衛門に斬らせようとすると神官は消えた。宗綱は飛駒街道を駆け、下彦間の大坂を上ったところで胸を撃たれ、供の騎馬六人とともに討ち死にした。女は露垂根大明神、白狐は一瓶塚稲荷神社、神官は鹿島大神宮の神霊だったという。
原典より
城を出る時、馬前に見えた婦人は露垂根大明神の御神霊で、羽室川原で馬前を横切った白狐は、一瓶塚稲荷神社の御神霊で、片峰に現れた神官は、鹿島大神宮の御神霊といわれている。—— 田沼町史 第1巻(自然・民俗編)――伝説(田沼町(編)・田沼町史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
田沼町史 第1巻(自然・民俗編)――伝説(田沼町(編)・田沼町史)
『田沼町史 第1巻(自然・民俗編)――伝説』は、田沼町が編んだ町史第一巻のうち、伝説の節の大半とことわざの節の冒頭を収めたものである。僧や鎧の祟り、神社の霊験、佐野宗綱の出陣、藤原秀郷ゆかりの井戸、義民、地名の由来、落人、寺社の縁起など、町内各地に伝わる話を地名や家名とともに記す。伝説は英雄偉人・義民・地名・落人・寺社縁起などの項に分けて並べ、ことわざの節は調査員の協力で集めたものを五十音順に掲げるが、いの項で終わっている。