須恵器を献じて末となった曽石村
どんな伝承か
『門野氏郷土物語』が引く「東仲家文書」によれば、三田市の末はもと曽石村と呼ばれていた。寛和のころ花山天皇が花山院へ巡幸した折、村から須恵器を献じたことにちなんで須恵村と改め、のちに末の字を当てたという。同書は羽路氏の姓も土師から転じたものだろうとし、旧道場村の満滝が決壊して三田から加茂のあたりまでが干潟となり広い耕地が開けた、その時代から羽路・東仲の両家は東末に続く旧家だと記す。末西にも枝氏と門野氏という旧家があったが、どちらも今は絶えている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
兵庫県民俗調査報告8――伝説(兵庫県(編)・兵庫県民俗調査報告・自治体史(民俗))
『兵庫県民俗調査報告8』第10章口頭伝承所収の伝説。兵庫県三田市周辺・千丈寺山麓に伝わる集落発祥・神社・廃寺・城跡の伝説と怪異を採録する。人を神として祀る南千丈寺山頂の松住大権現の磐座、焼き討ちされた千丈山観音廃寺、疫病神を追い払う戸守の鍾馗、法事帰りに重箱を襲う狐狸の怪、人の尿を好み小便たごを空にする狼話3題などを収める。各事例を日付・場所・人物・状況のマーカー付き事例単位で網羅した、摂津・三田の伝説と狐狼・鍾馗信仰の資料。