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今も樹皮を削られる三代目の榎

所在地東京都板橋区本町(縁切り榎)
年代現代
登場宮尾しげを、参拝者、一九六〇年代に古株のスケッチを描いた画家
出典西郊民俗 縁切り榎

どんな伝承か

三代目の縁切り榎は高さ四、五メートルほどに育っているが、幹のあちこちで皮がはがされ削り取られており、今も削っていく人が少なくないという。かたわらには大六天の小祠があり、堂の中には朽ちかけた初代の榎の古株が納められている。この祠は『新編武蔵風土記稿』に第六天として見えるもので、もとは初代の古株の洞の中にまつられていたが、古株が削られ続けて小さくなったため、今では逆に堂の内へ取り込まれた形になっている。榎教会の時代には大己貴命と少彦名命をまつる祠とされ、一九六〇年代のスケッチには、人の背より高い古株が金網で囲われた姿が描かれている。

原典より

まず三代目の榎の樹は樹高四~五メートルほどに成長しているが、その幹の表面を見ると、本当にあちこち樹皮が剥されて削られているのに驚かされる。—— 西郊民俗 縁切り榎(長沢利明・西郊民俗シリーズ) より引用
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※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません

出典の文献について

西郊民俗 縁切り榎(長沢利明・西郊民俗シリーズ)

『西郊民俗 縁切り榎』は、長沢利明が東京都板橋区本町の縁切り榎について書いた民俗学の論考である。旧中山道板橋宿の榎が縁切りの神木とされた由来を、『新編武蔵風土記稿』や五十宮下向の際の注進書、身禄伝説、江戸の随筆と川柳、明治の講談本からたどり、樹皮を煎じて飲ませるまじないや小絵馬・祈願文の奉納、今の参拝のようすを記す。後半で足利の縁切り稲荷など各地の類例と比べて婚礼行列が避ける場所のタブーとの関係を考え、末尾に注と文献を付す。

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