発疹チフスで死んだ友の符合
どんな伝承か
著者は戦争中、哲学を専攻する友人からテレパシー実験に誘われた。著者は青山、友人は三鷹に住み、それぞれの自宅で深夜零時から三十分間、著者が発信、友人が受信と役を決めて念じ合った。翌日データを突き合わせると、時刻の一致する文句がいくつか含まれていた。「シューベルトは発疹チフスで死んだそうだ」と送ったものは、「シューベルトは貧乏ゆえに短命に終わった」となっていた。その友人は学徒出陣し、戦後の昭和二十一年に満州で発疹チフスにより死んだと、後に親類から聞いた。著者はこれを単なる偶然だと受けとめている。
原典より
彼は学徒出陣で戦争に行ったが、戦後昭和二十一年に満州で発疹チフスで死んだという知らせを親類の人から、あとになって聞いたが、これは単なる偶然だったにちがいない。—— 続 山だ原始人だ幽霊だ(西丸震哉・山岳・怪異エッセイ・1972年(昭和47年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
続 山だ原始人だ幽霊だ(西丸震哉・山岳・怪異エッセイ・1972年(昭和47年))
『続 山だ原始人だ幽霊だ』は、西丸震哉の随筆集で、あとがきの日付は昭和四十七年三月十日である。出版の都合で前後編に分けたうちの後編にあたり、ニューギニアやニューブリテン島、トロブリアンド島の部族を訪ねた探訪記と原始社会の食生活論に続いて、幽霊についての自説と、自身や身内が出会った怪談を収める。終わりには手相、テレパシー、呪い殺し、雨やみの術、インドから自宅へ魂を飛ばす実験の話が並び、カバーと挿絵も著者が描いたとあとがきにある。