第七 渡邊偉哉氏の念寫
どんな伝承か
福来友吉が最後に紹介するのは渡邊偉哉氏の念写である。渡邊氏(明治二十八年生)は山梨県南都留郡鳴沢村の人で、大正七年の秋まで同郡西桂村の小学校に勤めていた。自分にも念写ができるという確信から修養を積み、大正七年二月十一日に成功したと報告した。福来はその方法が非学術的であったとして、乾板は研究者に一任すること、能力者は乾板に触れず現像室にも入らないこと、立会研究者の証明書を得ることなど厳格な条件を伝えた。渡邊氏はこれを理解し、以後は学術的精神で修養を重ねたという。
原典より
最後に渡邊偉哉氏の念寫を紹介しようこ思ふ。—— 観念は生物なり(福来友吉・心霊・念写研究・大正〜昭和(戦前)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
観念は生物なり(福来友吉・心霊・念写研究・大正〜昭和(戦前))
観念と身体との関係(物心関係論の歴史・物心相即・観念は生物也・観念活動の規定条件)、「我の能力」と人生(我の能力とは何か 等)を中心に、念写・透視の発見者である福来博士の独自の心理哲学を展開。各項目の冒頭に【日付】【場所】【人物】【状況】マーカー付きで網羅した心霊哲学書。