長尾郁子が乾板に写した黒丸と方形
どんな伝承か
未現像の乾板が透視のあとで感光していたことから、福来は念じた形を乾板に写せるのではと考えた。明治四十三年十二月、丸亀の長尾家を訪ねて心の字を貼った箱入りの乾板を示すと、郁子夫人は天照皇太神宮や観世音を唱えて念を込め、汗をびっしょりかいた。宿で現像すると字ではないが中央に感光の跡があった。翌二十七日には黒丸を念じさせて丸い形が、午後には四角を念じさせてはっきりした方形が写った。これが念写の始まりで、以後も十字架や天の字が成功したが、夫人は翌年二月に肺炎で亡くなったという。
原典より
私は直に石川寫眞館に行きて、右の種板を現像し見たるに、圓形の感光現象が現出した。—— 観念は生物なり(福来友吉・心霊・念写研究) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
観念は生物なり(福来友吉・心霊・念写研究)
『観念は生物なり』は、福来友吉が諸雑誌に発表した論文を集めた心理学と心霊研究の論集で、日本心霊学会刊、序は大正十四年春に箕面山の麓で記されている。観念と身体の関係、夢、潜在精神と病気、プランセット(自動書記)、狐憑病の伝染や尼寺のヒステリー、宮本武蔵の剣道などを論じる。明治四十三年以来接した御船千鶴子・長尾郁子・三田光一ら八人の通力者の透視と念写の実験も報告し、「観念と身体との関係」から「生命学と心霊研究」までの十四篇を収める。