平家谷
どんな伝承か
安徳天皇と二位尼は、立石儀右衛門にかくまわれて肥前松山に住んだ。天皇は儀右衛門の子義次とともに育つ。三年後、源氏の追討のため舟で逃れることになったが、追い着いた義経は幼帝を逃がした。下野に着いた天皇は記念に楠を植え、義次は茶の木を植えて、木とともに栄えようといった。藤吉種継が学問を授け、天皇はその娘千代との間に男児を儲けた。天皇は二五歳のとき発病し、儀右衛門の頼みで五文字を書き残し、これを守りにせよと言い残して崩御した。かねて天皇から大宮司を世襲するよう命じられた立石忠右衛門が葬儀を司った。翌春、二位尼が老病で死に、水天宮に祀られたという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説大系 第13巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房)・現代(編纂)/伝承(口承))
『日本伝説大系 第13巻』所収の「文化叙事伝説」全35話(福岡・大分・佐賀・長崎=北九州)を、各話の伝承地(市町村〜字レベル)とともに収める。