多羅尾の名を付けた甲賀三郎と兄の落命
どんな伝承か
天慶のころ、平将門の蜂起を鎮めた俵藤太秀郷と隠岐守兼家のうち、兼家は軍功により近江国甲賀郡を賜り、竜星村に城を築いた。信濃の望月源左衛門重頼の三男であったことから、郡の人々は親しみを込めて甲賀三郎と呼んだという。三郎は信楽郷十八ヵ村を治めるため、多羅尾の高峰寺に役所を置いた。人望を妬んだ二人の兄はまず寺に火をかけ、聖徳太子建立と伝える名刹は灰になった。次に兄たちは鹿狩りに誘い出しておとぎ峠に落とし穴を掘ったが、自らはまり込んで落命する。三郎は穴を埋め、塚を築いて弔った。多羅尾の名は、山に羅尾という獣が多くいたことから三郎が付けたとも語られる。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説大系 第8巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房)・現代(編纂)/伝承(口承))
『日本伝説大系 第8巻』所収の「文化叙事伝説」および「自然説明伝説」全133話(滋賀・京都・兵庫=近畿)を、各話の伝承地(市町村〜字レベル)とともに収める。