押しつけ合われた高野の土地
どんな伝承か
いまの住吉町のあたりを、土地では高野と呼んでいる。戦国のころは土地を持つ者に重い負担が課され、年貢米は穫れ高の半ばを超え、労役や土地の産物まで際限なく取り立てられた。そのため田畑を抱えることは損だとされ、誰もが所有を避けたがった。高野の土地についても、南の上鯖江と北の西鯖江の住民が互いに相手のものだと言い張って押しつけ合った。争いは西鯖江の側が押し切り、お塩道より南は上鯖江の持ち分と決められてしまったという。
原典より
現在の住吉町のあたりは高野と呼ばれている。—— 鯖江市史 史料編 第1巻(民俗編)――伝説(鯖江市(編)・鯖江市史・自治体史(民俗)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
鯖江市史 史料編 第1巻(民俗編)――伝説(鯖江市(編)・鯖江市史・自治体史(民俗))
福井県鯖江市の地名にまつわる口承を、自然物(樹木)・岩石・山谷坂・池泉川・家屋敷・神社寺院祠堂・人物事件・霊異妖怪のカテゴリ別に網羅する。樹木では矢留めの一本杉、観音様の大杉、鐘鋳りの松、三峯の大いちょう、てんぐ松、柿の木と膳椀(膳椀貸し)、三度グリなど。