十一の村から起こった吉江の名
どんな伝承か
明暦元年、松平昌親がこの地に入ったとき、牛屋・西番・米岡・杉本の各村から土地を割いて六つの町が立てられた。柳町・東町・本町・牛屋町・西町・新町がそれで、これに米岡や牛屋など五つの村を合わせると十一になる。その数から吉江の名が起こったと語り伝えられている。別の説では蘆江が崩れた表記で、昔このあたりは蘆の茂る沼地だったため自然にヨシエと呼ばれたのだという。十一箇用水にちなむという言い方もある。
原典より
後西天皇の明暦元年(一六五五)松平昌親が入部の際、牛屋・西番・米岡・杉本の各村から一部を割り出して柳町・東町・本町・牛屋町・西町・新町の六町をつくった。—— 鯖江市史 史料編 第1巻(民俗編)――伝説(鯖江市(編)・鯖江市史・自治体史(民俗)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
鯖江市史 史料編 第1巻(民俗編)――伝説(鯖江市(編)・鯖江市史・自治体史(民俗))
福井県鯖江市の地名にまつわる口承を、自然物(樹木)・岩石・山谷坂・池泉川・家屋敷・神社寺院祠堂・人物事件・霊異妖怪のカテゴリ別に網羅する。樹木では矢留めの一本杉、観音様の大杉、鐘鋳りの松、三峯の大いちょう、てんぐ松、柿の木と膳椀(膳椀貸し)、三度グリなど。