出口・木引の由来
どんな伝承か
中野町の当区は、もとは現在地の山ろくにあって、木挽と称されていた。それが後に木引となり、さらに分かれて出口とも呼称されるようになった。現在では木引・出口の各戸が入りまじって住んでいるという。鯖江藩領の時代には、石高は木引が四七〇石、出口が三五〇石であったと伝えられる。
原典より
当区はもと、現在地の山ろくにあって、木挽と称されていたが、後、木引となり、分かれて出口も呼称され、現在は、木引・出口各戸入りまじっている。—— 鯖江市史 史料編 第1巻(民俗編)――伝説(鯖江市(編)・鯖江市史・自治体史(民俗)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
鯖江市史 史料編 第1巻(民俗編)――伝説(鯖江市(編)・鯖江市史・自治体史(民俗))
福井県鯖江市の地名にまつわる口承を、自然物(樹木)・岩石・山谷坂・池泉川・家屋敷・神社寺院祠堂・人物事件・霊異妖怪のカテゴリ別に網羅する。樹木では矢留めの一本杉、観音様の大杉、鐘鋳りの松、三峯の大いちょう、てんぐ松、柿の木と膳椀(膳椀貸し)、三度グリなど。