水落の起源
どんな伝承か
水落町はもと戸数もわずかで、三軒五軒とまばらに散在する集落だった。当時の北陸街道は鯖江から長泉寺を経て本場坂という峠を越え、忠霊塔付近から神明神社前を通り立待方面へ向かっていた。その後天正年間、朝倉家の落武者であった吉江左内という者が現在の旧国道筋を開発した。人家が少なく人馬が不足したため、白山神社のふもとにあった山本村という部落の全村移住を実現させ、他地方からの移住者も加わって水落は次第に発展したという。
原典より
水落町は、昔は戸数もわずかで、三軒五軒とまばらに散在していた。—— 鯖江市史 史料編 第1巻(民俗編)――伝説(鯖江市(編)・鯖江市史・自治体史(民俗)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
鯖江市史 史料編 第1巻(民俗編)――伝説(鯖江市(編)・鯖江市史・自治体史(民俗))
福井県鯖江市の地名にまつわる口承を、自然物(樹木)・岩石・山谷坂・池泉川・家屋敷・神社寺院祠堂・人物事件・霊異妖怪のカテゴリ別に網羅する。樹木では矢留めの一本杉、観音様の大杉、鐘鋳りの松、三峯の大いちょう、てんぐ松、柿の木と膳椀(膳椀貸し)、三度グリなど。