白犬と山鳥の矢に討たれた忠綱
どんな伝承か
足利義兼の侍女の讒言によって、足利又太郎忠綱は義兼の正室時子と通じたと疑われ、主従一族もろとも足利を追われた。忠綱はただ一人で桐生の皆沢へ落ちのび、追手と激しく斬り結んで数か所に傷を負いながらも血路を開いた。民家に身を潜めていたところ、追手が連れてきた白い犬に見つかって激しく吠えたてられ、山鳥の羽を付けた矢で射られた。もはやこれまでと悟った忠綱は自ら命を絶ち、里の人々は亡骸を手厚く葬って、その地に八幡神社を建てたという。皆沢では今も白い犬を飼うことと山鳥の羽を持つことを避ける習わしが残っている。
原典より
民家に潜んでいると、追手の連れてきた白犬がみつけて、けたたましくほえたので、追手は山鳥の羽の矢で忠綱を射た。—— 田沼町史 第1巻(自然・民俗編)――伝説(田沼町(編)・田沼町史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
田沼町史 第1巻(自然・民俗編)――伝説(田沼町(編)・田沼町史)
『田沼町史 第1巻(自然・民俗編)――伝説』は、田沼町が編んだ町史第一巻のうち、伝説の節の大半とことわざの節の冒頭を収めたものである。僧や鎧の祟り、神社の霊験、佐野宗綱の出陣、藤原秀郷ゆかりの井戸、義民、地名の由来、落人、寺社の縁起など、町内各地に伝わる話を地名や家名とともに記す。伝説は英雄偉人・義民・地名・落人・寺社縁起などの項に分けて並べ、ことわざの節は調査員の協力で集めたものを五十音順に掲げるが、いの項で終わっている。