鎌倉坂
どんな伝承か
鎌倉坂は布佐の北大作にある坂である。文治五年、藤原泰衡が奥羽で叛いたとき、源頼朝はこれを征伐しようとして、鎌倉の諸将のうち千葉常胤と八田知家に常総の兵を率いさせ討たせようとした。その軍勢がこの地まで至ったが、宿営とすべき所がなかったため、群臣をこの地に野営させたことがあったという。それより土地の人がこの坂を鎌倉坂と称するようになったと伝わる。なお八田知家は菊水山城主で香取郡滑川に城があり、源義朝の子で小田氏の嗣となった人だと原典は注している。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
相馬伝説集(寺田喜久(狂花)・相馬郷土研究・大正)
大正十一年、寺田喜久(狂花)が編んだ『相馬伝説集』。茨城・千葉にまたがる旧相馬郡(利根川流域=小文間・守谷・布川・布佐・藤代・横須賀など)の名勝・旧蹟・伝説を、△印で項目立てして地誌的に網羅する。最大の主役は平将門で、守谷町の朝日御殿・桔梗塚・佛島・日秀の石井戸など将門伝説群、その妾とされる桔梗の前の伝説を収める。