霊祭のあとに写った死んだ末子
どんな伝承か
大正十三年、東京市深川区富川町三十一番地に中村三蔵という人が住んでいた。久吉という十二になる末子を可愛がっていたが、暮から病んで翌年の五月十六日に死んだ。夫婦は仏式で葬式をしたが気が済まず、三十日後に天地教院という神道の教会に頼んで神式の霊祭を行い、霊匣を床の間に置いた。それから九日して他家へ養子に行った次男が来て、写真道楽の機械で父の三蔵や叔母の高沢良久らを撮り、現像すると不思議な物が写っていた。良久の写真には白衣に頭陀袋を掛けた久吉が写り、霊匣の左には三十六で死んだ三蔵の母が半身をもたせ、三蔵と自身を撮った写真には三代前に死んだ白髪の老婆が写っていた。
原典より
* 死児の写真 (350)* 写真に映った登山姿 (350)* 御嶽登山の記念写真 (351)* 鏡に映る女の顔 (352)* 堀切橋の怪異 (355)* 室の中を歩く石 (357)* 本所の…—— 日本怪談実話(田中貢太郎・河出文庫版・決定版・昭和13年編纂(1938年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本怪談実話(田中貢太郎・河出文庫版・決定版・昭和13年編纂(1938年))
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