破格の家賃の借家と殺された妻
どんな伝承か
十年ほど前の東京での出来事である。灸点師の福岡さんは勤めていた会社を辞めてから暮らし向きが苦しくなり、門構えの家を手放して移り先を探した。いくつもあった候補の中で目に留まったのが大井町の一軒で、格の高い家なのに、当時の郊外としても家賃が並外れて安く、敷金も要らず前払いだけでよいという破格の条件だった。夏に急いで契約し、家族を連れて移り住んだ。のちに家主が明かしたところでは、数年前に住んでいた若い夫婦の夫が、妻の貞操を疑って幼子を抱えた妻を殺めており、それ以来異変が続いて借り手が居つかないので、条件を良くして貸していたのだという。
原典より
そのうちの一軒、大井町の某所の家といふのが、一見して福岡さんの気に入つた。—— 夏の夜の怪談(森岡英一・新天地 1943年6月号) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
夏の夜の怪談(森岡英一・新天地 1943年6月号)
『夏の夜の怪談』は、森岡英一が書いた一篇の怪談実話である。灸点師の「福岡さん」が十年ほど前に東京・大井町で借りた家で、三歳の末娘、長女、妻が次々に見知らぬ女の姿を見、妻は赤子を背負って佇む横顔まで認めたという出来事を、本人から聞いた話としてつづる。霊感のある和尚の見立てと家主の告白から、以前その家で夫に殺された若い妻の霊とされ、寺に霊位を納めて鎮まるまでを語り、最後に霊魂の実在を科学で証すことの難しさに触れて結ぶ。