塩町、石投げの事
どんな伝承か
安政年間の二月下旬の頃から、錦見塩町の森下屋仙太郎方へ石を投げ込む者があった。初めは子供の悪戯かと思われたが日々やまず、近所に知らせて探しても知れない。人を雇って昼夜気を付けても、東から投げるかと思えば西へ、南とすれば北から来る。数も定まらず、一日に一二度のこともあれば十五六度に及ぶこともあった。石は人の近くに来ても不思議と当たって傷つけず、軒に掛けた簾を通り抜けて座敷に入っても簾は少しも損じない。炊いた飯にいつしか砂が入っていることもあった。加持祈祷も効かず、一月余りで自然にやんだ。長男が牛野谷の愛宕社で天狗の像を弄んだ祟りだといわれた。
原典より
安政年間 今二月の下旬の頃より、錦見塩町森下屋仙太郎方へ石を投る者あり。—— 岩邑怪談録(広瀬喜尚(編:藤田葆/増補:今田純一/付録:静間密)・天保年間成立・明治期増補(原本明治四十三年成稿)/昭和51年(1976)岩国徴古館刊) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
岩邑怪談録(広瀬喜尚(編:藤田葆/増補:今田純一/付録:静間密)・天保年間成立・明治期増補(原本明治四十三年成稿)/昭和51年(1976)岩国徴古館刊)
岩国藩士・広瀬喜尚(仁兵衛、天保頃の博識家)がまとめた郷土怪談集を核に、明治期に今田純一(散木園主人)が二十余条を増補(追加)し、さらに藤田葆が古老聞き取りの『続怪談録』・歴史的瑞兆を集めた『実事談』・幼童の変死記録を集めた『変死部』を継ぎ、巻末に静間密の怪火・投石怪五話を付録とした、岩国・錦見・横山周辺を舞台とする総合怪異録。