羊太夫と従者の翼(多胡砂子)
どんな伝承か
土地の人が伝えるところによれば、羊は名馬に乗って奈良の京まで日参していた。八束脛という従者が馬について供をしていたが、あるとき脛が疲れて臥せっている隙をうかがい、怪しく思って両脇を見ると翼があった。試しにこれを抜き捨てたところ、その後は名馬について行くことができなくなった。そのため朝勤も怠りがちになり、羊を恨む者があって謀反を企てているとの讒言が朝廷に及び、都から討手が下って羊は討たれたと言い伝える。『多胡砂子』に見える話である。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
群馬県史 資料編 27(群馬県史・江戸時代~明治時代の記録編纂)