代官が驚き入って生まれた村名
どんな伝承か
驚という村名は千葉県内はもとより全国でも珍しく、長生村一松の驚と白子町の驚くらいしかないという。治承四年、荏柄平太胤長の子の小高小太郎平重之が数人の家来を連れてこの地へ来て、土地を切り開いて帰農し郷士となった。開かれた当初は集落の形があるだけで、小高野村と呼ばれていた。寛文十一年に代官の中川八郎左衛門が支配することになって検地をやり直すと、開拓地が広がっていて百二十一石余りにまで石高が増えたので、驚き入ったことだとして、それからは驚村と呼ぶようになったと伝える。重之の子孫は代々名主割元総代を務めたという。
原典より
治承四年(一一八〇)荏柄平太胤長の子小高小太郎平重之は臣僕数人を率いて、此の地に来て土地を開拓して帰農し郷士となった。—— 白子町史 より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
白子町史
『白子町史』は、千葉県白子町の歴史を記した町史である。一ノ荘、五井、驚村、南白亀、観音堂などの地名の由来、源頼朝の駒止橋や御殿山の伝説、宝暦の新川開鑿、驚獅子の雨乞い、田辺万吾や皆川検校の事績、お塚山の伝承を、由来記や家の文書、村誌を引いて記す。地名と伝説を十三の項に分けて述べ、続く第五節には常福寺のらかんまきや白子神社のなぎなどの天然記念物を図とともに載せる。