琵琶塚弁天
どんな伝承か
治承三年、高倉天皇の御代のこと。太政大臣藤原師長は罪を得て尾張井戸田の里に流されていたが、許されて都へ帰るとき、かねて愛していた里の横江某の娘に、白菊という名の琵琶と守り本尊の弁財天像を形見として渡し、心を残しながら旅立った。残された娘は師長を忘れかね、このあたりまで後を慕って来たが、悲しさのあまり形見を抱いて近くの川へ身を投げて死んだ。土地の人がその心根を哀れんで塚を築き、上に弁財天を祭ったのが、いま西春日井郡西琵琶島町琵琶塚新田に残るものだという。娘は身を投げる前に一首の和歌を残したと伝わる。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
愛知県伝説集(福田祥男・昭和三十六年(1961)刊)
尾張・三河(愛知県)に伝わる伝説を山/海/水/給水・雨乞/地蔵・観音/石・岩/城跡・屋敷跡/塚・墓/地名/動物・変化/植物/祟り・怨霊/山人・巨人/社寺/その他の15章に分類して集成する。尾張富士の背くらべ、女人禁制の山、河童・狐狸の変化、雨乞いの淵、戦死者の塚や落人伝説、社寺の縁起や地名の由来など、愛知の地に根ざした怪異・霊験・由来譚を地名つきで網羅する。