平家谷
どんな伝承か
文治元年三月廿四日、壇の浦の合戦で平家の敗色が濃くなると、新中納言知盛は安徳帝を守って豊前の陸に上がり、筑後国山本郡草野の方へ落ちのびた。発心が嶽に拠る草野次郎太夫永平の兵に追われると、伊賀平内左衛門家長が知盛の錦の直垂を賜って身代わりに名乗り、討死したという。竹野郡平村には今も知盛塚が残るとされる。知盛は帝を奉じて御井郡へ渡り、篠山の地頭松田の館を経て、その別荘のある白口村へ移った。帝は元久二年、二十八歳でこの地に崩御し、亡骸は笹山に納められたと伝える。
原典より
文治元年三月廿四日、壇の浦の戦ひ、平家の方、既に斯よと、見えたるにぞ、新中納言知盛卿は、急ぎ帝の、御船に奉られしに、二位尼は兼てしも、期したまふ事とて、露驚き給ふ体もなきに、知盛卿申さるるは、女院の御事は、天下の国母に、…—— 日本伝説大系 第13巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房)・現代(編纂)/伝承(口承)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説大系 第13巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房)・現代(編纂)/伝承(口承))
『日本伝説大系 第13巻』所収の「文化叙事伝説」全35話(福岡・大分・佐賀・長崎=北九州)を、各話の伝承地(市町村〜字レベル)とともに収める。