平家と安徳帝
どんな伝承か
安徳帝は新中納言知盛・能登守教経・門脇宰相教盛らに伴われて土佐に移られた。二月で、旧久保村奥いじ山で雪が降り出し装束を整えられた所を装束野という。帝は久保の韮生山に三年余り住まわれ、大里荘旗の山谷の麓に移り、塩がないので高所の上に仮宮を作られた。旧頓定村がこれである。知盛は奥方とともに当地で没し大奈呂畑に葬られ、教経は海辺を調べる途中、安芸の荘魚梁瀬山で病死した。帝が山田の荘威徳へ移ると、教盛は源氏の雑兵を血祭りにあげ、血煙で草原が赤く染まったので茅原姓を賜わったが、その傷で没した。帝は追手を避けて旧川の内村の松尾へ移り、後続の揃わぬ坂を今そろばん坂と呼ぶ。帝は教盛の娘在子を后として数人の子を儲け、やがて当地で亡くなられた。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説大系 第12巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房)・現代(編纂)/伝承(口承))
『日本伝説大系 第12巻』所収の「文化叙事伝説」全139話(香川・徳島・愛媛・高知=四国)を、各話の伝承地(市町村〜字レベル)とともに収める。