三峯城へ通じる尾根の馬道
どんな伝承か
中戸口の山の尾根を走る道は馬道と呼ばれる。朝倉一族が一乗谷に館を構えていた時代、三峯城から馬でこの尾根を行き来したことによる名だという。三峯城は敵を見張る要地で、海から敵が上がると越知山で火を焚き、それを受けて磯部城がのろしを上げ、三峯城が一乗谷の本陣へ急を知らせた。山上の道にしては幅が広く、中戸口から河和田の西袋へ越える峠道は明治・大正のころまで人の往来が多かった。いつのころか神楽の一行が峠と間違えて馬道へ迷い出て、山上で神楽を打ったという話も残る。
原典より
中戸口の山の峰通りを馬道と言っている。—— 鯖江市史 史料編 第1巻(民俗編)――伝説(鯖江市(編)・鯖江市史・自治体史(民俗)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
鯖江市史 史料編 第1巻(民俗編)――伝説(鯖江市(編)・鯖江市史・自治体史(民俗))
福井県鯖江市の地名にまつわる口承を、自然物(樹木)・岩石・山谷坂・池泉川・家屋敷・神社寺院祠堂・人物事件・霊異妖怪のカテゴリ別に網羅する。樹木では矢留めの一本杉、観音様の大杉、鐘鋳りの松、三峯の大いちょう、てんぐ松、柿の木と膳椀(膳椀貸し)、三度グリなど。