藩の塩を運んだお塩道
どんな伝承か
鯖江藩が使う食塩は三国から日野川をさかのぼり、有定区内の弥三という字の塩倉に納められた。そこから人足が肩に担いで東鯖江の土蔵まで運んだ道筋を、人々はお塩道と呼んだ。当時の道幅は三尺が普通だったが、この道だけは四尺五寸あった。北陸コンクリートの工場から住吉町三丁目の各番街を抜け、第三公園を経て住吉町一丁目の中央を一直線に貫いていたが、家が建ち公園となって跡形もない。深江町から借陰小学校の南へ至る区間には、今もお塩道の名が残る。
原典より
鯖江藩用の食塩は、三国から日野川をさかのぼって、有定区内弥三という字の塩倉に保管された。—— 鯖江市史 史料編 第1巻(民俗編)――伝説(鯖江市(編)・鯖江市史・自治体史(民俗)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
鯖江市史 史料編 第1巻(民俗編)――伝説(鯖江市(編)・鯖江市史・自治体史(民俗))
福井県鯖江市の地名にまつわる口承を、自然物(樹木)・岩石・山谷坂・池泉川・家屋敷・神社寺院祠堂・人物事件・霊異妖怪のカテゴリ別に網羅する。樹木では矢留めの一本杉、観音様の大杉、鐘鋳りの松、三峯の大いちょう、てんぐ松、柿の木と膳椀(膳椀貸し)、三度グリなど。