七つ頭の大蛇を鎮めた行基の観音
どんな伝承か
聖武天皇の代と伝わる大昔、沼間がまだ海に続いていたころ、ここに棲む大蛇が海へ出ては船を沈め、火や毒を吐いて人々を苦しめていた。土地を治める長尾左京大夫善応は心を痛め、諸国をめぐってこの地を訪れた高僧行基に、仏の力で大蛇を改心させてほしいと頼んだ。行基は山にこもって十一面観音を彫り上げ、像を小舟に載せて沖で観音経を唱えた。すると大蛇はうなだれて近づき、悪行を悔いて世のために尽くすと誓ったという。害がやむと人々は大蛇の魂を諏訪明神としてまつり、頭が七つあったので七か所に社を建てて七諏訪様と呼んだ。
原典より
大蛇には頭が七つあったので七か所に社をたて、七諏訪様と呼んだ。—— 逗子市史 別編1 民俗編――伝説(逗子市(編)・逗子市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
逗子市史 別編1 民俗編――伝説(逗子市(編)・逗子市史)
『逗子市史 別編1 民俗編――伝説』は、逗子市の市史のうち、別編第一巻の民俗編にあたる巻の一部である。池子・沼間・桜山・小坪・久木・山の根など市内の土地に伝わる伝説を収め、和泉から来た一行が金を埋めたという金山権現、行基の十一面観音と大蛇、六代御前の墓、為朝の矢の根井戸、頼朝と新箸の宮、河童松、お夏狐などの話を記す。伝説の章の末に河童や狐、庚申の夜の短い話を添え、続く方言・訛語の章では逗子の語彙を五十音順に並べる。