ナスビの馬の禁忌
どんな伝承か
太田の三星屋・磯谷家では、盆の行事にナスビ(茄子)の馬を作らない。和宮さまが将軍家茂に降嫁のため中山道を下られたとき、磯谷家の先祖の貞助という人が本陣の宰領役であったことによる因縁話である。貞助は加納宿を出発する行列を迎える荷宰領の大役を承ったが、五十余荷の荷物で地元太田だけでは馬が足りず、加茂野・蜂屋・絹丸と駆け回って二百五十余頭を集めた。ところが一頭の都合が遅れて出迎えの時刻に遅れ、貞助はあわや切腹というところを、加藤小六という武士の情けで命乞いができた。この時に費した金は八五〇両で、三星屋は田地田畑を売り尽くしたという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
美濃加茂市史 民俗編――伝説(美濃加茂市(編)・美濃加茂市史・自治体史(民俗))
『美濃加茂市史 民俗編』所収の伝説。岐阜県美濃加茂市の伊深・太田・蜂屋・三和ほか各地に伝わる口承を採録する。