地蔵講と其ノ田板碑
どんな伝承か
地蔵講は地蔵信仰から生まれた講で、地獄と極楽の考えが広まるにつれて数を増したという。豊後高田市にある其ノ田板碑には建武元年(一三三四)の年号とともに地蔵堂の講衆が敬って申し上げるという文言が刻まれており、鎌倉時代にはすでに地蔵講が結ばれていたとみてよいとされる。地蔵の縁日の二十四日には、その日の宿となる家に米や野菜を持ち寄って会食をし、旧暦七月二十四日を地蔵盆として供養の踊りをする所も多い。
原典より
建武元年(一三三四)銘の其ノ田板碑(豊後高田市)に「地蔵堂講衆等各敬白」の文字があり、鎌倉時代にはすでに地蔵講が結成されていたと考えてよい。—— 大分県史 民俗篇――俗信・妖怪・憑きもの(大分県(編)・大分県史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
大分県史 民俗篇――俗信・妖怪・憑きもの(大分県(編)・大分県史)
『大分県史 民俗篇――俗信・妖怪・憑きもの』は、大分県の県史の民俗篇のうち、講の項の末尾と俗信の章を収めたものである。俗信の諸相、兆・占・禁・呪、天狗・鬼・山童・河童・ウブメ・塗り壁・狐狸・火の玉などの妖怪と霊異、犬神やトウベ(蛇神)、死霊風などの憑きものを、国東・日田・臼杵など県内の伝承と既刊の研究をもとに述べる。山の怪・水の怪・路傍の怪などに分けて事例を並べ、節ごとに注を付し、写真の説明文を挟む。