馬頭観音・馬力神
どんな伝承か
路傍によく見かける馬頭観音や馬力神は、願をかける対象というより、農作業や荷運びに飼っていた馬が死んだときに建てた碑である。明治以降は馬頭観世音を馬力神とすることが多く、馬力神の数が多いのは神仏分離の影響とみられる。上高場には個人が建てた馬力神が七基あり、南坪の有志一五、六人が五〇年ほど前に死んだ馬の冥福を祈って建てた馬頭観音もある。西中根では馬を死なせた人が寺で供養をしてもらい、そのあと飲み食いをするといい、堀口では盆や正月に馬頭観音にも参ったという。
原典より
馬は農作業や運搬のために飼われていたが、この馬が死んだときに、馬頭観世音や馬力神の碑を建てたものであった。—— 勝田市史 民俗編――小祠の信仰と流行神(勝田市(編)・勝田市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
勝田市史 民俗編――小祠の信仰と流行神(勝田市(編)・勝田市史)
『勝田市史 民俗編――小祠の信仰と流行神』は、勝田市の市史の民俗編のうち、「信仰生活」の部の一部である。鎮守祭礼の移り変わりに続いて、屋敷神や同姓の家々で祀るウジガミと系図祭り、カマド神やエビス・大黒などの屋内の神々、病気や安産の祈願を集める小祠を、市域のムラでの調査と聞き取りによって記す。後半では流行神として上高場の六地蔵、腹切り佐七、塚信仰、東石川大島の無縁様を取り上げ、その由来と信仰の広がりをたどる。