マコモとカヤの奉納(泥棒溺死)
どんな伝承か
貞享のころ、中谷の茂左衛門と立崎の五平治の二人が、成田講の代参に出発した。ついでに、文間大明神の龍が天に登って雨を降らし、頭は龍角寺に、腹は龍腹寺に散らしたという伝説の二寺も参拝するつもりだった。ところがその龍腹寺で泥棒に出会う。泥棒たちは、川向うが大火事だと偽って二人をあわてさせ、渡し船のないところへ親切ごかしに船を出し、船上で襲いかかった。二人が一心に文間大明神を祈念して抵抗するうち、船は風にあおられて転覆し、泥棒どもは一人残らず溺れ死んだ。茂左衛門はマコモをつかんで布鎌岸に、五平治はカヤをつかんで加納岸にはい上がり、講金も無事だった。二人は以後、秋のお衣がえに、たいまつをつくるカヤとマコモを欠かさず奉納することになったという。
原典より
時は貞享のころ(一六八四〜)であったそうだ。—— 利根町史 第4巻(通史・民俗編)――民話と伝説(利根町(編)・利根町史・自治体史(民俗)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
利根町史 第4巻(通史・民俗編)――民話と伝説(利根町(編)・利根町史・自治体史(民俗))
『利根町史 第4巻(通史・民俗編)』第一章所収の民話と伝説。茨城県利根町の文・布川・文間・東文間各地区に伝わる口承を採録する。