布川組四郡大師を開いた二百の霊場
どんな伝承か
成田在の東金山に住む大見川安右衛門は、文化年間に四国を巡り、札所ごとの土を持ち帰った。これを郷里へ移すつもりでいたが、志半ばで病没してしまう。その砂を譲り受けたのが十里河岸の山本豊栄で、河内・相馬・印旛・埴生の四つの郡を四国に見立て、文政元年についに二百か所の霊場を開き終えた。この開設に力を貸したのが布川徳満寺の恵灯上人であり、以来これを布川組「四郡大師」と称して、一番札所は豊栄の生地である十里に置かれた。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
利根町史 第4巻(通史・民俗編)――民話と伝説(利根町(編)・利根町史・自治体史(民俗))
『利根町史 第4巻(通史・民俗編)』第一章所収の民話と伝説。茨城県利根町の文・布川・文間・東文間各地区に伝わる口承を採録する。