下野若旅の大日塚の大埴輪
どんな伝承か
和田千吉の座敷には苦心して集めた埴輪が並んでいたが、なかでも婦人の土偶は下野の東部で得た逸品で、腰から下が欠けていた。八年余り後にその土地を訪ねると、柿の木の下に以前の埴輪の破片が残り、もう一体の下半身は茶の木を植えた植木鉢に使われていた。古墳を案内していた野寺茂兵衛の遺愛の木だったが、金を払うと二代目がすぐ伐ってくれた。土偶が見つかったのは畑の高みの古塚で、像が大日如来に似ていたため大日塚と呼ばれたらしい。村は芳賀郡中村大字若旅であった。
原典より
塚の名を大日塚と云ふのは、其土偶が大日如来の尊像に似て居た為だらうと和田君は言はれる。—— 定本柳田国男集 第3巻(柳田国男・定本柳田国男集) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第3巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第3巻』は、柳田国男の紀行・日記・随筆を集めた著作集の一巻である。相模・武蔵の村々を歩いた「水曜手帖」、昭和二十三年八月の自序を持つ「北国紀行」、明治四十三年の「五十年前の伊豆日記」、国際聯盟の委任統治委員会に勤めた大正十一年の「瑞西日記」と「ジュネーブの思ひ出 その他」を収める。後半の「菅江真澄」は昭和十七年二月の序を付け、真澄の著述と旅の跡を年を追ってたどり、写真解説を添える。