玉御殿と石棺
どんな伝承か
玉御殿の中には破風型の墓があり、真中で仕切られて向かって左に石棺二基、右に後の一門の甕が四十いくつ入っている。石棺は支那から来たという。唐船が伊平屋を通って首里へ行く時は伊是名に寄港して一泊した。城の西のスダの浜の沖に停泊して出ようとしたが、南風で時化て何度も引き返した。首里へ連絡すると、これは伊是名におりる石棺だからそこにおろせとの返事で、陸上げするとすぐ北風の順風に変わり、船は碇を上げる暇もなく鉈で切って出て行った。その船長の名は幸地といい、碇をかけた海底の岩を幸地岩という。陸上げした石棺二基は、伊是名の玉陵の向かって左に尚円王の父や姉の骨甕として納められている。伊是名の玉陵は、首里の玉御殿ができて三年ほど後に造られたと聞くという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説大系 第15巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房)・現代(編纂)/伝承(口承))
『日本伝説大系 第15巻』所収の「文化叙事伝説」「自然説明伝説」全185話(奄美・沖縄=南西諸島)を、各話の伝承地(市町村〜字レベル)とともに収める。