腰掛け岩
どんな伝承か
天文二十年、若山城主・陶晴賢は大内義隆の家臣杉重矩の謀略に乗せられ、主君義隆を討ってしまった。翌年、重矩を討ちとって非を詫びたが、義隆の姉婿・古見正頼が挙兵し、晴賢は毛利元就の軍略にかかって厳島で三十五歳の生涯を閉じた。残された晴賢の長男は杉重矩の長男に攻められて自刃し、妹の姫は地神堂まで逃れたが力尽きて亡くなった。村人たちは姫の遺言のとおり地神堂に葬って御堂を建て、お姫塚と呼んだという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説大系 第10巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房)・現代(編纂)/伝承(口承))
『日本伝説大系 第10巻』所収の「文化叙事伝説」および「自然説明伝説」全85話(岡山・広島・山口=中国地方)を、各話の伝承地(市町村〜字レベル)とともに収める。