四鬼の窟 坂上田村麻呂
どんな伝承か
南紀大泊の比音山清水寺の始まりを委しく尋ねると、平城天皇の御宇、諸国に鬼神魔王が蜂起して国土を悩まし人民を殺害することが甚だしかったので、天皇は坂上田村麻呂に将軍の宣旨を下し、伊勢鈴鹿に発向して東夷を退治し、南蛮の悪鬼どもを鎮めさせた。今の八鬼山や三鬼などがそれである。討ちもらされた悪鬼を探して高い山に登り観音の名を唱えると、立烏帽子を着た天女が忽然と現れ、これより南の海辺の岩屋に悪鬼が籠もると告げて西天へ飛び去った。そこを烏帽子山という。将軍は兵船で鬼の城郭に漕ぎ寄せ、沖の島に現れた童子の舞に鬼神が気を奪われた隙に、大悲の弓に神通の矢をつがえて一矢で射倒した。この島を魔見ヶ島という。将軍は守仏の一寸八分の千手観音を北方の洞窟に納め、大同四年に堂宇を建てたのがこの寺である。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説大系 第9巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房)・現代(編纂)/伝承(口承))
『日本伝説大系 第9巻』所収の「文化叙事伝説」および「自然説明伝説」全100話(奈良・大阪・和歌山・三重=近畿南部/紀伊)を、各話の伝承地(市町村〜字レベル)とともに収める。