公卿の和歌の短冊が守った姥島
どんな伝承か
京の身分高い公卿の近衛なにがしが東海道を東へ下る途中、菱沼の栗牡丹餅茶屋で一息ついた。はるか南の海に浮かぶ島の名を茶屋の婆やに尋ねると、小和田の姥島だと教えられ、公卿は矢立を取ってその島を詠んだ和歌を短冊に書いた。短冊は茶屋に残り、のちに本宿のある家を経て藤沢の遊行寺に預けられたというが、確かなことは分からない。やがて伊豆の漁師たちが、陸から一里以上離れた島は伊豆のものだと言って姥島を求め、小和田村へ談判に来た。名案の出ない村で、名主九右衛門がこの短冊を思い出して証拠に示すと、伊豆側も引き下がり、姥島は小和田の領分と認められたという。
原典より
そのとき名主九右衛門、ふとこの和歌が短冊に書き留められて栗牡丹餅茶屋にある事を想い起し、早速これを証拠として姥島は小和田の領分であると主張することが出来たという。—— 茅ケ崎市史 3 考古・民俗編(茅ケ崎市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
茅ケ崎市史 3 考古・民俗編(茅ケ崎市史)
『茅ケ崎市史 3 考古・民俗編』は、神奈川県茅ヶ崎市の市史の考古・民俗編のうち、第七章「伝説と俗信」第一節「伝説」の初めの部分である。今宿の旗たての松、のどの病に効くという芹沢のぎゃーぎばあさん、寒川神社の浜降祭の縁起、南湖のやせ地蔵、下寺尾の七堂伽藍と沈んだ鐘、小和田の涙橋などの伝説を収める。社寺堂縁起と地名のいわれの項に分け、明治生まれの話者の名と地区を添えた聞き書きに、『茅ヶ崎郷土史』などの文献からの引用を交える。