濁流に消えた神輿と孫七が拾った御霊
どんな伝承か
国府祭の年のこと、一の宮寒川神社の神輿を馬入の渡しで舟に移そうとした刹那、長雨で荒れた川へ舟が先に離れ、神輿は濁流にのまれて河口の彼方へ消えた。神主の僧らは遠島、馬入の水夫十八人は磔にされたという。寒川社は相模灘の浦々に、見つけた者に米百石を与えると触れた。六月十五日の朝、南湖中町の漁夫孫七が波打ち際で光るものを拾うと、中の古い鏡がまばゆく輝いていた。孫七は石尊山にお旅所を設けて夜通し守り、八王子権現の別当円蔵寺に移した。賞を求めぬ孫七の申し出で御霊は還り、この日が浜降祭の起こりになったと伝わる。
原典より
しかして御霊の南湖海浜に打ち上り給いし六月十五日を以て寒川神社の浜降祭と定め、神輿この浜に渡御し給う例となり。—— 茅ケ崎市史 3 考古・民俗編(茅ケ崎市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
茅ケ崎市史 3 考古・民俗編(茅ケ崎市史)
『茅ケ崎市史 3 考古・民俗編』は、神奈川県茅ヶ崎市の市史の考古・民俗編のうち、第七章「伝説と俗信」第一節「伝説」の初めの部分である。今宿の旗たての松、のどの病に効くという芹沢のぎゃーぎばあさん、寒川神社の浜降祭の縁起、南湖のやせ地蔵、下寺尾の七堂伽藍と沈んだ鐘、小和田の涙橋などの伝説を収める。社寺堂縁起と地名のいわれの項に分け、明治生まれの話者の名と地区を添えた聞き書きに、『茅ヶ崎郷土史』などの文献からの引用を交える。