思川に散った男装の鮎子
どんな伝承か
小山義政が思川で鮎狩りを催したとき、いちばんの獲物をあげたのが鮎子という娘だった。これが縁で城に仕えることになった鮎子は、義政夫妻に深く慈しまれ、満ち足りた日々を送っていた。やがて鎌倉公方の足利氏満が小山へ攻め寄せ、大軍に囲まれた鷲城は落ちる寸前となった。覚悟を固めた義政は家臣に促されて城を抜け出し、思川を渡って再起を図ることにした。その渡河に付き従ったのが、若武者の姿に身を変え、鮎狩りで鍛えた泳ぎの腕を役立てようと意気込む鮎子だった。家臣たちの働きで義政夫妻は包囲を破って逃れたが、鮎子は思川で若い命を落としたという。
原典より
この主君の思川渡りの供をしたのが、かつて鮎狩りできたえた水練を生かそうとはりきる若武者に扮した鮎子であった。—— 小山市史 民俗編 より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
小山市史 民俗編
『小山市史 民俗編』は、小山市の市史のうち民俗を扱う編である。第九章「祭りと民俗芸能」の終わりで小薬北若連・武井の若連が担う囃子と下生井の囃子を記し、第十章「民話・民謡・ことわざ・方言」では間々田・土塔・粟宮・下生井など市内各地の伝説と昔話を、小山城の落城や小山氏、藤原秀郷にまつわる話を多く含めて紹介する。伝説は自然伝説・信仰伝説・歴史伝説の三つに分け、伝承地を添えた伝説名の一覧と主な話のあらすじを掲げ、昔話は土地の言葉のまま載せる。