義家が母衣を掛けた七ツ石の松
どんな伝承か
八幡太郎義家が奥州の安倍氏を討ちに向かう途中、稲葉の七ツ石でひと休みし、そばの松に身につけていた母衣を脱いで掛けた。それでこの松は母衣懸の松と呼ばれるようになったという。義家はここに戦勝祈願の八幡社も祀ったと伝わる。宿を貸した小倉家では早朝の出立に朝飯が間に合わず、ゆでた里芋を高坏に盛って出し、義家はそれに塩をつけて急ぎ食べて発ったという。小倉家にはいまも松と北向きの八幡社が氏神として祀られ、高坏が家宝として残り、八月十五日の八幡様の祭りには家族で里芋を食べる習わしが続く。奥州へ逃れる源義経が休んで母衣を掛けたとする説もある。
原典より
その時、傍にはえていた松に身に付けていた母衣をぬぎかけた。—— 壬生町史 民俗編――伝説(壬生町(編)・壬生町史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
壬生町史 民俗編――伝説(壬生町(編)・壬生町史)
『壬生町史 民俗編――伝説』は、壬生町史民俗編のうち昔話と伝説の章を収めたものである。町史編さんの調査で町内の古老から集めた昔話を方言を生かして再話し、話者名を添えて動物昔話・完形昔話・笑い話・世間話に分けて並べる。伝説は吉次の墓・親抱きの松・大御堂などを動植物・歴史上の人物・塚と渕・神仏・地名に分け、地元の伝承に『郷土誌』『壬生領史略』などの文献からの引用を交えて載せ、一部の話に解説を付す。