離縁を願う人が拝んだ縁切り地蔵
どんな伝承か
長野県の旧北御牧村には「縁切り地蔵」と呼ばれる地蔵があった。夫婦の縁を切りたいと願う人は、人目を忍んでこの地蔵に手を合わせたという。その一方で、嫁入りの行列はやはりこの地蔵のそばを通らず、よけて道を回った。板橋の縁切り榎と同じように、縁切りの願いと婚礼のタブーが結びついた場所の一つとして挙げられている。
原典より
また、長野県北佐久郡北御牧村には「縁切り地蔵」があって離縁をのぞむ人はひそかに信心したとのことであるが、やはり嫁入りの行列はそこを避けて通ったという。—— 西郊民俗 縁切り榎(長沢利明・西郊民俗シリーズ) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
西郊民俗 縁切り榎(長沢利明・西郊民俗シリーズ)
『西郊民俗 縁切り榎』は、長沢利明が東京都板橋区本町の縁切り榎について書いた民俗学の論考である。旧中山道板橋宿の榎が縁切りの神木とされた由来を、『新編武蔵風土記稿』や五十宮下向の際の注進書、身禄伝説、江戸の随筆と川柳、明治の講談本からたどり、樹皮を煎じて飲ませるまじないや小絵馬・祈願文の奉納、今の参拝のようすを記す。後半で足利の縁切り稲荷など各地の類例と比べて婚礼行列が避ける場所のタブーとの関係を考え、末尾に注と文献を付す。