掠奪した短刀の祟り
どんな伝承か
松山寛一郎は香美郡夜須の生まれであった。元治元年七月二十七日の清岡道之助一派の義挙に加わろうとして時期を失し、自暴自棄になっていたが、慶応四年、迅衝隊の隊士として会津へ出た。会津城が落ちた夜、藩士の家へ押し入ると婦人が自害しようとしていた。その手にした短刀が立派なので慾心を起こし、血で汚さぬうちにと婦人を斬り殺して奪った。帰郷して所帯を持った翌年の夏、火の玉が蚊帳の上を這い、跡が黒く焦げていた。以後、壁廚から短刀が飛び出す夢を見、やがて白昼にも短刀が飛んで体に当たり、そのたびに傷ができて血が出た。女の祟りだと弱った寛一郎は陽貴山の和尚に頼み、家の後ろの祠へ短刀を納めさせると異状は止んだ。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本怪談実話(田中貢太郎・河出文庫版・決定版・昭和13年編纂(1938年))
日本怪談実話(田中貢太郎)/幽霊と怪光の実話/怨霊と祟り・因果/死の前兆と怪音/各地の怪異実話