家数が三分の一に減った天保の飢饉
どんな伝承か
奥州守山領は阿武隈山地の西麓に開けた三十一か村の小さな領地で、いまの郡山市の一部にあたる。山がちで水の便が悪く、冷害や干ばつに弱いうえ、西を流れる阿武隈川がたびたび氾濫して川筋の村を痛めつけた。東北一帯を襲った天明と天保の大飢饉のうち、天保四年から八年にかけての飢饉では、この領内でも飢えと疫病、そして破産して村を去る者が相次ぎ、村々の家数はおよそ三分の一にまで減ってしまったと記録に残されている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
疫病と狐憑き-近世庶民の医療事情(昼田源四郎・昭和中期(推定))
本書は江戸時代の陸奥奥州守山藩領における『御用留帳』を史料とした、近世農村の医療事情と心霊現象の研究である。狐憑きや物付きなどの精神疾患が、祈禱や指籠入れ(座敷牢)によって治療された実例を14件詳述する。天明・天保の飢饉や流行疫病(疱瘡、麻疹、コレラ等)への対応と並行して、乱心者の社会的処遇、責任能力の鑑別問題、欠落(逃亡)との区別が論じられている。