石川弾正の討死と烏帽子石
どんな伝承か
二本松市百目木の名目津には、城主の最期にまつわる二つの名が残る。百目木城主の石川弾正は伊達政宗に攻められて城を逃れたが、名目津の切り通しで馬から落ち、名目津橋のたもとで討たれたと伝えられる。橋のそばにある烏帽子石は、そのとき弾正が烏帽子を置いた石だとしてこの名がついた。また近隣の人々がこの場所で焼香したことから、名目津橋は香炉橋とも呼ばれるようになったという。百目木の日下部善兵衛が伝えた。
原典より
百目木城主石川弾正は、伊達政宗に攻められて逃がれたが、名目津地内の切り通しで落馬し、名目津橋のたもとで討死したという。—— 岩代町史 第4巻(岩代町) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
岩代町史 第4巻(岩代町)
岩代町編『岩代町史 第4巻』を全23話・伝説(1見出し=1話)単位で収録(緒言・序・名義・解説・和歌・注は除外/内包)。所在地(郡村区・社寺)を付して集成。