光明皇后の誕生と女鹿
どんな伝承か
智海上人が宮里の滝山で修行していると、一匹の女鹿が来て上人の尿を嘗めた。すると鹿は懐胎し、少女を生んだ。上人は憐れんで隣家の媼に頼み、育ててもらった。少女が七歳になった春、槙尾寺に詣でた帰り道、たまたま通りかかった藤原不比等が、田植をする男女の中に瑞気を発する少女を見つけ、喜んで都へ連れ帰った。そのとき知らせを受けた母鹿が別れを惜しんで見送った所が女鹿坂であるという。この少女こそ後に聖武天皇の皇后となった光明皇后であると伝えている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説大系 第9巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房)・現代(編纂)/伝承(口承))
『日本伝説大系 第9巻』所収の「文化叙事伝説」および「自然説明伝説」全100話(奈良・大阪・和歌山・三重=近畿南部/紀伊)を、各話の伝承地(市町村〜字レベル)とともに収める。