累 の 話
どんな伝承か
慶長のころ、下総国豊田郡羽生村の百姓与右衛門は、隣村横根から連れ子のある女を嫁に迎えた。連れ子の助は容貌が醜く、与右衛門がこれをひどく扱ったため、母は思い余って慶長十七年四月十七日、六歳の助を絹川べりの悪水落しに生き埋めにして殺した。翌年生まれた娘るいは助と寸分違わぬ顔で、村人はかさねと呼んだ。承応二年八月十一日、婿となった二代目与右衛門は絹川向いからの帰り道、累を横堀へ突き落として殺す。二十年後、その娘菊に累の怨霊が憑いて罪を言い立て、弘経寺に遊学していた祐天和尚が十念を授けて済度したという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
相馬伝説集(寺田喜久(狂花)・相馬郷土研究・大正)
大正十一年、寺田喜久(狂花)が編んだ『相馬伝説集』。茨城・千葉にまたがる旧相馬郡(利根川流域=小文間・守谷・布川・布佐・藤代・横須賀など)の名勝・旧蹟・伝説を、△印で項目立てして地誌的に網羅する。最大の主役は平将門で、守谷町の朝日御殿・桔梗塚・佛島・日秀の石井戸など将門伝説群、その妾とされる桔梗の前の伝説を収める。