青石の仏と土中から出た硯
どんな伝承か
和銅五年、田原に住む三人の少年——宇紀八の子若石丸、宗次郎の子熊王丸、中四郎の子松若丸——が山遊びに出て、白い砂と岩ばかりの神々しい場所を見つけた。三人は木と草を寄せ集めて堂を建て、仏を安置しようと親に相談する。木では朽ち、金では錆びるから石がよいと教えられ、星田にあった美しい青石を譲り受けて仏像を刻ませた。草木一本ない荒れ山だったので荒山寺と呼ばれた。のちに落雷で焼けた堂を建て直そうとしたとき、土中から一尺ほどの丸い硯が現れ、噂を聞いた人々の寄進で養老七年に再建された。だが天平元年の大地震で、青石の仏は谷底の土に埋もれてしまったという。
原典より
四十三代元明天皇の和銅五年(七一二)に、田原の住人宇紀八の子若石丸一三歳、宗次郎の子熊王丸一一歳、中四郎の子松若丸一七歳の三人が山に遊びに行った。—— 交野市史 民俗編――伝説(交野市(編)・交野市史・自治体史(民俗)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
交野市史 民俗編――伝説(交野市(編)・交野市史・自治体史(民俗))
大阪府『交野市史 民俗編』所収の伝説。七夕伝説の里として知られる交野市の八地区(郡津・倉治・私部・森・寺・傍示・私市・星田)に伝わる口承を採録する。