矢作の堰
どんな伝承か
千葉郡都村大字矢作の用水は、慶長十八年正月十四日、千葉町寒川の人・布施丹後が起こしたものである。丹後はもと千葉氏の臣であったが土着し、代々この地方の名族として常に公共の事業に心を用いていた。水田が旱に苦しむのを憂え、都川の水をこれらの旱田に灌漑しようと企てて官許を得ると、自ら私財を投じて工事を起こし、昼夜となく監督して、苦心の末、寛永二年十二月についに竣工させた。水源は山武郡の諸山に発し、幾多の細流を合わせて矢作村の岐路で屈曲する。そこを見越して堰を構え、溝渠を掘って農田へ水を供給したのである。その利益は遠く矢作・川戸・赤井・仁戸名・千葉寺に及び、なお松ケ谷・辺田・花輪・上勝田・下勝田・川野辺をも潤したので、土地の民は皆その恩を語り伝えているという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説叢書 下総の巻(藤沢衛彦・日本伝説叢書・大正~昭和初期(推定))
藤沢衛彦編『日本伝説叢書 下総の巻』を全179話・伝説(1見出し=1話)単位で収録(緒言・序・名義・解説・和歌・注は除外/内包)。所在地(郡村区・社寺)を付して集成。