穴川開墾場
どんな伝承か
都賀村の穴川には「死んでしまふか穴川出よか、死ぬるにやましだヨ出るがよい」という俚謡が伝わる。天保十一年十一月、千葉郡宮野木村の村正吉左衛門が穴川野の開墾に着手し、嘉永六年に成った。初めは地味もよく移住者が多かったが、地勢が高燥で灌漑に乏しく、収穫が振るわず、村を去る者が出た。俚謡はその頃から唱われ出したという。吉左衛門は荒野を区分して排水路を設け、私塾を興すなど尽力し、安政三年には流行病で死者も出たが、安政五年春には良田沃土となった。同年三月九日、領主から賞杯と苗字を許され、開発人は丘陵に社を建てて穴川大明神と称し、開発の守護神と仰いだ。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説叢書 下総の巻(藤沢衛彦・日本伝説叢書・大正~昭和初期(推定))
藤沢衛彦編『日本伝説叢書 下総の巻』を全179話・伝説(1見出し=1話)単位で収録(緒言・序・名義・解説・和歌・注は除外/内包)。所在地(郡村区・社寺)を付して集成。