中村権太
どんな伝承か
鹿野山では、中興第一世の宥慶僧都が紀州高野から来て、初めて真言密教の道場を樹てた。そのとき当山は衰えて堂宇が一宇を残すのみだったという。僧都は智慧の誉れ高く教化にも努めたので、その利益を蒙って仏道に帰し教えを聴いた者のなかに中村権太がいた。僧都が大工を興して十三の寺宇を建てたとき、最もよく努めたのが権太であったと伝わる。ただし権太の事蹟を確かめる証拠は残らず、今伝わるのは一種の悲劇を語る薬師如来の歌だけである。歌は権太に嫁いだ娘が留守を守るうちに世を去るさまを長々と語り、同じ詞が各地にあるという。
原典より
宥慶僧都(中興第一世)が紀州高野から来て、始めて真言密教の道場を樹てた時、当山は衰廃して一宇となつてゐた。—— 日本伝説叢書 上総の巻(藤沢衛彦・日本伝説叢書・明治~昭和初期(推定)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説叢書 上総の巻(藤沢衛彦・日本伝説叢書・明治~昭和初期(推定))
藤沢衛彦編『日本伝説叢書 上総の巻』を全218話・伝説(1見出し=1話)単位で収録(緒言・序・名義・解説・和歌・注は除外/内包)。所在地(郡村区・社寺)を付して集成。